浜を見せてやりたい…
80代男性の元漁師。当院がフォローする1年4か月前に尿路感染症で入院したのを皮切りに、急性胆嚢炎、新型コロナ→肺炎に罹患、病院や施設を転々としているうちにすっかり体力が落ちてしまった。口から食べることができなくなり胃ろうを造設し病院で療養を続けていたが、家族が在宅療養を強く希望し自宅退院となった。家族が在宅療養を希望した理由は、「このままだと自宅に一度も戻ることなく病院で死んでしまうのではないか。漁師だった父親にもう一度、浜を見せてやりたかった…」ということだった。ご自宅は浜のすぐ傍、目の前は見渡すかぎり海、建物は少し古いが番屋を兼ねているような風情の佇まいだった。
しかし、本人は如何せん体力が落ちており、医療的ケアの必要性も多く在宅療養は困難が予想された。長男夫婦と次男が交替で介護する予定だが、三人とも仕事をお持ちのため本人が日中お一人になる時間ができてしまう。なるべく一人の時間ができないように、家族が不在の時間に訪問看護とヘルパーを組む段取りだった。担当のケアマネージャー(ケアマネ)さんは私がお付き合いしている中でも情熱的な方で、家族を支える手厚い体制を作り上げてくれた。担当の訪問看護事業所(訪看)は私がお付き合いしている中でもアグレッシブな事業所で、予想通り医療的ケアが多かったが力強く在宅療養を支えてくれた。本人の貧血が進行した時も「輸血しますよね?」との訪看サイドの言葉に、『自宅で輸血かい…』と思ったものの、『また入院させるのも可哀想だな…』と思い直して在宅輸血に踏み切った。
この症例で困難だったのは、本人が何かを訴えたくても言葉で伝えることができず、声を出すことしかできないことだった。身体診察、採血、エコーを駆使して訴えの内容を把握しようとするのだが、把握しきれず家族にご迷惑をおかけすることもしばしばだった。在宅療養は4か月に及び、最期は家族だけでなくケアマネや訪看に見守られながら自宅で息を引き取った。この記事を書くためにカルテを見直したが、私がフォローしていたのはたった4か月だったのかと感じさせるほど濃密な4か月だった。多難な在宅療養を継続できたのは、家族が本当に良い方たちで弛まぬご協力を得られたこと、そしてケアマネ、訪看、ヘルパーさん達がそれは熱心に家族を支えてくれたからである…

