医療と音楽の共通点②

元教員同士で、二人暮らしの80代夫婦がいた。夫が外来に通い始めてまもなく、遠方に住む息子が受診に同行してきた。そして受診前に僕と二人だけで話がしたいという。ご用件を尋ねると、「月一回は両親の様子を見に来るのだが、遠く離れているので両親のことが心配で…特に父親が日増しに衰えて、老いぼれた父を母一人に面倒見させるなんて母親が不憫でならない。父親をいっそどこかの施設に入れてしまった方が良いのだろうか…」と母親の心配をしきりに漏らされる。確かに夫は介添がないと歩行も覚束ない状態で、日常生活全般に渡って介助が必要なレベルだろう。しかし、夫の通院に同行して来る妻は朗らかで、妻から介護に対する悲愴感を感じることはなかった。

息子とこれ以上話をしていても終着点が見えなかったので、「ご心配は良く分かりました。でも息子さんのお話だけ伺っていても話がよく分からないんですね。お父さんを検査と称して外に出して、お母さんだけ中に入れて直接話を聴いてみましょう。ご両親にはお子さんも知りえないご夫婦だけの歴史というものもあります…」。妻に息子の心配を伝え、心境をお尋ねしたところ返答は明鏡止水だった。「お父さんはそれは博識でね、いろいろなことを教えてもらったし、いろいろな所にも連れて行ってもらったし、お父さんと一緒にいられて本当に楽しかったんです。だからお父さんにはとても感謝しているの。今、こうしてお父さんのお世話をしているのはお父さんへの恩返しなんですよ…」

医療と音楽の共通点、それは物語性ではないだろうか。無論、医療は物語が全てだと言うつもりは毛頭ない。しかし、患者やカルテの後ろにあるものに少し目を向けてみると、案外答えが横たわっていたりすることがある。以下は20世紀最大の音楽家、ヘルベルト・フォン・カラヤンが手兵ベルリン・フィルの団員にかけた言葉である。

「皆さんは音楽学校の学生ではないのだから、私に基礎的なことを何回も言わせないでください。音符ではなく、楽譜の後ろにある“音楽”を演奏して欲しい…」