ケアと経営の間で
70代男性、あるケアマネジャーからの問い合わせだった。ケアマネによると、他院通院中だが肝硬変で腹水がすぐ溜まり、苦しくなると救急要請し腹水を抜いてもらうこと(腹腔穿刺)を繰り返しており、本人の希望時に腹腔穿刺してくれる訪問診療医を探しているとのことだった。申し訳ないが他の内科通院中の患者を原則内科フォローすることはできないと話すと、今の通院先はすぐに入院させたがるのでフォロー先を当院に変更したいとのことだった。話が全く見えないので、まずは通院先の主治医と良く相談し、了承していただけるのなら診療情報提供書を書いてもらうように説明した。後日、ケアマネが持参した診療情報提供書によると、彼は生まれながらの心奇形のため末期心不全の状態であり、少しでも長生きしたければ厳しい水分管理が必要だった。油断するとすぐ身体に水が溜まる、腹水もそのためだった。現に先日まで心不全増悪で入院しており、徹底した水分制限で軽快し退院してきたばかりだった。しかもこの先も通院は継続してください、先生は腹腔穿刺だけしてあげてくださいとのことだった。
申し訳ないがお引き受けできないとお断りするも、彼もケアマネも引き下がらない。主治医の言うことを聞かないと確実に心不全が悪くなるよと説明しても、彼は入院も厳しい水分制限も嫌だ、今後通院もしないと言う。実は水分管理できる施設に入所するという条件で退院してきたが、今の施設はすぐにでも退所し元いた施設に戻りたい、最期までその施設で過ごしたいとのことだった。なぜ今の施設ではダメなんですかと尋ねると、今の施設は訪問看護、訪問介護、通所デイサービスを抱き合わせた施設で他所のデイに通うことができないが、元々通っていたデイに通いたいとのことだった。なぜそのデイでないとダメなんですかと尋ねると、そこで振る舞われる昼食が彼の唯一の楽しみであり、そのデイに通えるんであればいつ死んでも良いとのことだった。当初は破茶滅茶だなと思ったが、彼は末期心不全の状態であり、そう長くない残りの人生を望まない水分制限で長らえさせるよりは、住み慣れた施設と通い慣れたデイで過ごしてもらうのも一理あるなと考え直した。彼を連れて改めて主治医と相談して来なさいとケアマネに私の手紙を託した。
主治医から了承をいただき、当院フォローが始まった。退院先だった施設の訪問看護と訪問介護の支援のもと元いた施設に戻り、本人希望のデイに再び通い出した。彼と相談して1日の飲水量や間食量を決めるのだが、制約が無いためなかなか守れず、週一回のペースで腹腔穿刺をした。腹腔穿刺は1時間ほどかかるため、その間彼といろいろな話をした。ある時、生い立ちの話になり、「学校の先生から、お前は心臓が悪いから11歳までしか生きられないと言われた。でもこの歳まで生きることができた。もう十分だ…」と彼は話してくれた。これは彼の偽らざる本音だったと思う。彼の想いを聞いて、この施設で最期まで彼を見守るつもりでいた。
しかし、ある日突然、理由はわからないが元の退院先の関連施設に移ることになった。しかも彼に与えられたのは、2人部屋と言ってもベッドと人ひとり通れるほどのベッド脇のスペースだけだった。そのうち施設の管理者から、「フォロー先を変更します」と一方的に告げられた。理由を尋ねると、「いざとなれば入院させてもらえるので…」との回答だった。『彼はそんなこと望んでないのに?』と思ったが、彼にはその施設以外に身を寄せる場所がないのだ。今は何かと世知辛い世の中であり、みんな生きていくのに必死である。それはわかるのだが今一度考えて欲しい。僕の顔なんか何度泥を塗ってもらっても構わないが、彼の希望を叶えるために前の通院先にどれだけご迷惑をおかけしたことか。商売には利道というものがあり、それ以前に人の道というものがある。そもそも医療や福祉は金儲けの手段ではないし、何より人の道を踏み外さないようにしていただきたいものである…

