夕張の挑戦

2007年、財政破綻を機に171床の夕張市立総合病院は、19床の有床診療所と40床の介護老人保健施設として再出発することになった。これに伴い、市立総合病院時代の看護師は新診療所に残る方もいれば新天地に移る方もいたわけだが、このような事情で夕張市内の介護福祉施設には市立総合病院時代の看護師が勤務されている。夕張在職中、診療所の看護師だけでなく診療所外の看護師達にも大変お世話になった。

夕張唯一の特別養護老人施設(特養)には、重症とまではいかない感染症患者の点滴治療、末期ガン患者の医療用麻薬の管理、施設での看取りまで多岐に渡りご協力いただいた。市立診療所が19床でやっていけたのは、この特養に医療管理が必要な方を多く受けていただいていたからである。特養の看護師から体調を崩した入所者の相談を受けると、「観れる、観れない?」と訊く。「観れます」と言われたら「必要な物をお届けするのでそのまま経過を観て」とお願いし、「観れない」と言われたら「診療所に連れて来て」と応えるわけである。夕張を離れた後も暫く、特養では抗生剤の点滴は普通にやっていただけるものだと勘違いしていたくらいだ。この特養以外の市内の老人ホームでも、こちらが指示を出せば医療用麻薬の管理や施設での看取りをしていただいた。人口一万人を切る自治体でこのような場所はそうそうないのではないか。私が夕張でやらなければならなかったことは、要請のあった救急車を全て受け入れることくらいだった。

救急車を受け入れるようになるにつれ、新たな患者を受け入れるために容態の安定した患者にはリハビリする場所に移っていただく必要が出てきた。この方々の最大の受け皿が診療所に併設された老健だった。当時、診療所の病床は2階、老健は1階と同一建物にあったが、老健に移った方の経過を引き続き見守れるのも夕張の魅力だった。やがて老健でのリハビリを終えた方で施設にいた方は元の施設へ、自宅に戻る方は自宅へ、残念ながら自宅に戻るのが難しくなった方は施設その他に受け入れていただいた。この中で自宅に戻ることはできたが通院が難しくなった方には、診療所の訪問診療や訪問看護をお勧めするのである。

夕張在職中、これら有機的な繋がりを当たり前のように思っていたが、実は当たり前などではなく、むしろ稀有なことであることを夕張を離れてから再認識するのであった。この有機的な繋がりの中に身を置けたことは私にとって大変貴重な経験となった。一緒に働いていた夕張中の医療介護従事者の方々にはただただ感謝しかない。そしてこのような有機的なシステムを構築した前任の医師達の先見の明と、未曾有の速さで進む過疎化と高齢化にたゆまず挑み続けている夕張にはただただ敬意しかない…

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